焼酎(しょうちゅう) 소주
焼酎の起源は正確には分かっていないが、比較的有力な説は、シャム(現在のタイ王国)から琉球経由でもたらされた、とするものである。陳侃の『使琉球録』(1534年)に「南蛮(南番)酒」のことが記されており、この南蛮酒は暹羅(タイ)から琉球へもたらされたものであり、醸法は中国の露酒であると記されている[1]。露酒とは中国の蒸留酒のことである[2]。
シャムの蒸留酒は更に中東に起源を持ち、アラビア語で「アラク」(عرق)と呼ばれた。焼酎は古くは「あらき酒」、もしくは蒸留器を指す「ランビキ(蘭引、英語でalembic、アラビア語でアル・インビーク(الإنبيق))」と呼ばれた。中国・韓国語では「燒酒」と表記される。
日本国内では文献記録で確認できる限り、少なくとも16世紀頃から焼酎が造られていたと見られている。例えば1546年に薩摩国に上陸したポルトガルの商人ジョルジェ・アルバレス(フランシスコ・ザビエルにヤジロウを紹介し訪日を促した人物)は、当時の日本人が米から作る蒸留酒(原文ではorraqua;オラーカ=アラビア語のアラクに由来するポルトガル語)を常飲していたことを記録に残している[9]。
소주의 기원은 정확히는 밝혀지지 않았지만, 비교적 유력한 설은, 샴 (현재의 타이왕국)에서 류큐( 지금의 오키나와) 경유로 전해진것이라고 하는 것이다.중략...
한국 중국에서는 燒酒라고 표기한다. 일본국내에서는 문헌기록으로 확인하는 한, 적어도 16세기 경부터 소주가 주조되었다고 보고 있다.