센세는.....

Conditus hic ego sum picturae fama Philippus,

지영 센세 2016. 11. 20. 13:35

堂内には,成人後(1488年頃)),スポレートを再訪した息子のフィリピーノのデザインによる墓碑(制作はアンブロージョ・バロッチとされる)があり,そこにはロレンツォ・デ・メディチの意を受けた人文主義者アーニョロ・ポリツィアーノが作成したラテン詩が刻まれている.長短短六歩格と五歩格を組み合わせた二行を繰り返すエレギーア詩形だ.

 ヴァザーリの「フラ・フィリッポ・リッピ伝」にも収録されたこのラテン詩は,ウェブ上の原文,英訳版には訳がついていないが,平川祐弘による邦訳版に誠実に訳されている.比較文学の巨星の上手な意訳があれば,生硬な直訳も意味があるだろうから,訳して見る.

Conditus hic ego sum picturae fama Philippus,
 Nulli ignota meae est gratia mira manus.

Artifices potui digitis animare colores,
 Sperataque animos fallere voce diu.
Ipsa meis stupuit natura expressa figuris,
 Meque suis fassa est artibus esse parem.
Marmoreo tumulo Medices Laurentius hic me
 Condidit, ante humili pulvere tectus eram.

 絵画の名声そのものである私フィリップスはここに葬られたが,
  わが手の驚くべき恩恵は知らぬ者が無い.
 私は,指によって技を発揮する色彩に生命を与え,
  長く希望を託された声で人々の心を欺くことができた.
 自然(の女神)自身が,私が描く姿に表現されて,驚いて,
  技芸においては私が彼女自身に等しい存在であると認めた.
 ロレンツォ・デ・メディチがここで私を大理石の墓に
  埋葬したが,それ以前は私は卑しい塵に被われていたのだ.

 韻律上一行目のfama「名声」は主格なので,主語のフィリップスの説明的同格と考える.4行目はわかりにくいが,「迫真の絵を見た人々が絵画中の人物が声を発するのではないかと長く思い込み続けるほど見事な技量を発揮した」と言う意味なのだと思う.その他は特に難しいラテン語ではなく,さすがにルネサンスを代表する人文主義者なので,そつなくまとめた墓碑銘だと思う.

 伊語版ウィキペディアの引用(2018年8月27日参照)は,3行目の digitis を digilis としていて,これは間違いだろう.

 なお,伊語版ウィキペディアには「フィリッポ・リッピ」と言う項目とは別に,「フィリッポ・リッピの諸作品」と言うページがあり,ほとんどの作品が独立の項目として立項されたページにリンクされており,イタリア語を勉強したことがなくても写真を見ているだけで幸福感に浸れる.

 リッピの作品の特徴はこの「幸福感」に集約されるのではないかと思う.息子のフィリピーノも絵は上手だし,魅力的だが,何か薄幸な感じがするのと対照的である.